IDOLM@STER
とってもお久しぶりの紹介。
ぶっちゃけ全然見てないんだよねっ!
6月〜今までで新作アイマスMADを見た数って100もないんじゃないかなぁ?
その前までは3日もあればそんだけ見てたかと思うと、凄まじい減り方デスネ
今回は日頃仲良くしてもらっている某Pさんから、うっかり紹介されてみたんだ・・・
夢想歌 [コメントアートmix] 春香
MCFPの新作。
さてこの作品「新作」と書いた。当然「前作」があるわけです。
「前作」you give・・・ [コメントアートmix] 雪歩真春香こそMCFPの処女作。きっと今回の作品の効果もあって数字が伸びる事は想像に難くないのだが、それにしてもあまりにさびしい数字。やはり今でもニコマス界隈は賑やかで新人Pの作品が伸びるには中々難しいのでしょうかね? 浦島な自分にはサッパリ分からないわけですが!w
脱線した
ニコマスの視聴者、ニコニコ動画の視聴者ならCAという言葉には聞き覚えがあることでしょう。
CAとはコメント・アートの略
動画に字幕をつけたり、装飾を施したり、テロップを出してみたり、はたまたAAや小さな劇場のようなものまでを表現してみたりと数々の“職人”が様々なアートを今も見せてくれます。しかもまた日々進化し続けるのが凄いところ。人の発想って計り知れない!
しかし従来CAはCA職人がコメントでつけるもの、当然限界まで増えたコメントは押し出されて消えてしまいます。
今ではニコニコの仕様のおかげでプレミアムなら過去ログを遡ったり、遡ることまで出来なくともマイメモリーとしてコメント状態を保存することだって出来る。
ただメモリーには新たなコメントは付けれない。
やっぱりさ・・・すごいCAを見たら「すげええぇえええええ」って打ちたくない? それがやっぱニコニコ動画の楽しみのひとつだと思うんだよね。
けれどコメントが増えればCAも流れるし、CAに重なってコメントしてしまえばCAを壊してしまったりもする。
そう、そういうもんだと思ってたんだ。
それがニコニコの常識だと思っていた。限界を決めてしまっていた。
けれどそれを限界だと決めていない人が出た。
「投稿者コメントでCAをみせる」
からくりを言うとそんな一言で終わる。
そんな一言。けれどもそれはとっても凄いことだと思う。
失礼な言い方をさせてもらえば
動画はMADを作るだけで良い
CAは動画にコメントを貼るだけで良い
流れないCAを実現させるためには、その両方を自らする必要があるんだ。
片方ですら出来ない俺からしたらなんて凄いことだろう!
しかも動画説明のコメにはCA(順次追加予定)とある。まだ増やすつもりなのかww
イイゾモットヤレ
肝心の動画本体についてあまり触れていなかった・・・
今は毎日チェックしていた過去とは違うけれども、例えば今もチェックを続けていたとしてこの動画に出会っていたらCAという演出が無かったとしてもきっと紹介したことだろう。
シンプルな振り付け・構成・演出であっても、それだけのシンクロがこの動画にはある。
歌・歌詞・曲・画・キャスト(春香)・振り付けが、「これは見てもらいたい!」と思うだけの動画として仕上がっている。
それに加えての・・・CAの演出
もうこれは見てもらわないことには、どう文章で伝えていいものか分からない。
ひとつひとつのCAこそ初見のものは無いけれども、これだけのCAを(おそらく)一人で動画の演出として盛り込んだというのは感嘆の声しか出てこない。
同じ動画を2時間以上もまわしていたのは・・・
怒首領蜂Pの雪歩×capsule「music controller(piconova-mix)」
以来だ。
今は殆ど見ていないけれど、βの当初からニコニコにはまってニコマスに1年以上どっぷり漬かっていた。
その間にもPの技術はあがり、ソロで活動していたのが協力したりイベントで盛り上がったりお互いに良い刺激を与え合って進化を続けていた。
けれどこうも思っていた
「もう想像を覆されるような動画には出会えないんじゃないか? 画質は綺麗になってジャンルも多岐に渡った。これ以上何があるんだろう?」
甘かった
人間の発想ってすごい
限界は自分で決めるものだと改めて思い知らされた。
ぜんっぜんニコマスからは遠ざかっているわけだがそれでも確信する、俺はずっとニコマスを見続けていたとしてもこの動画は年に数本しか出会えないほどの偉大な作品だと。
だってしばらく鳥肌が引かなかったんだぜ?